葬式はくだらないと感じる人が増えているのは、なぜなんでしょうか。
私も40代になり、これまで数多くの葬儀に参列してきました。
その中で感じるのは、確実に「葬式なんて意味がない」という声が増えているということです。
でも一方で、実際に参列してみると予想外に心が動かされることもあるんですよね。
今回は、そんな複雑な葬儀への思いについて、私なりの考えを整理してお伝えしたいと思います。
まず結論だけ先にまとめると以下の通りです。
- 葬式をくだらないと感じる人は、宗教観の希薄化や経済的負担を重視する合理主義者が多い
- 新しい供養の形として直葬、自然葬、無宗教葬が選ばれている
- 参列経験者だけが知る葬儀の意外な価値もある
- 個人の価値観を尊重しつつ、多角的に捉えることが大切
それでは、現代の葬儀に対する複雑な感情の背景を、具体的に見ていきましょう。
きっとあなたも共感できる部分があるはずですよ。
「葬式をくだらない」と感じるのはどんな人?増えている理由とは?
葬式に対して「くだらない」という感情を抱く人たちには、確実に共通する特徴があります。
私がこれまで出会った人たちの話を聞いていると、やはり現代社会特有の価値観の変化が大きく影響していることが分かります。
まず、どんな人が葬式をくだらないと感じやすいのか整理してみましょう。
- 宗教観が希薄で、宗教的儀式に意味を感じない人
- 合理主義で費用対効果を重視する人
- 忙しい生活で他人の死を悼む精神的余裕がない人
- 家族関係が希薄で儀式的な慣習に疑問を持つ人
- 形式的な儀式よりも個人の意思を重視する人
これらの特徴を持つ人が増えている背景には、深刻な社会的変化が存在しているんです。
宗教観の希薄化と無宗教の増加
現代日本では、特定の宗教を信仰していない人が圧倒的に多くなっています。
私の周りでも「神様なんて信じていない」という人がほとんどです。
そうした人にとって、お経や焼香といった宗教的な儀式は、まさに形だけのものに感じられてしまうんですね。
特に若い世代ほど、この傾向は顕著になっています。
世代 | 宗教観 | 葬儀への態度 |
---|---|---|
20-30代 | 無宗教が多数 | 形式的な儀式に疑問 |
40-50代 | 文化的な意味は理解 | 簡素化を希望 |
60代以上 | 伝統的な価値観 | 従来の形式を重視 |
経済的負担への強い抵抗感
葬儀費用の高額化も、大きな問題となっています。
一般的な葬儀では100万円以上かかることも珍しくありません。
これだけの費用をかけて、本当に意味があるのかと疑問に思うのも当然です。
特に経済的に厳しい状況にある人にとって、この負担は現実的ではありませんからね。
地域コミュニティの希薄化
昔は地域全体で葬儀を支えていましたが、今は核家族化が進み、近隣との関係も希薄になっています。
そのため、多くの人に参列してもらうことの意味も感じにくくなっているんです。

誰のための葬儀なのか分からない
という声も、よく聞かれるようになりました。
この変化は、葬儀そのものの存在意義を問い直すきっかけにもなっています。
「葬式なんてくだらない!」と感じる人が選ぶ新しい供養のかたち
従来の葬儀に疑問を感じる人たちが選んでいる新しい供養の形は、実に多様化しています。
私自身、最近はこうした選択肢について相談を受けることが本当に増えました。
それぞれの特徴と、選ばれる理由を詳しく見ていきましょう。
- 直葬・火葬のみという最もシンプルな形式
- 自然に還る自然葬という環境配慮型
- 宗教色を排除した無宗教葬
- 故人らしさを重視したオリジナル形式
これらの選択肢が増えているのは、個人の価値観を最優先にしたいという現代的な考え方の表れなんです。
直葬・火葬のみ:究極のシンプル化
直葬は、通夜や告別式などの宗教的儀式を一切行わず、火葬場で最小限の別れだけを行う形式です。
費用は20万円程度に抑えることができ、時間的な負担も大幅に軽減されます。
参列者も家族や親しい友人など10名程度に限定されることが多いですね。
私が知っている事例では、故人の遺志で

無駄な費用をかけないでほしい
という希望があったケースが多いです。
ただし、後になって「もっとしっかりお別れしたかった」と後悔する遺族もいるので、事前の話し合いが重要になります。
項目 | 直葬 | 一般的な葬儀 |
---|---|---|
費用 | 20-30万円 | 100-200万円 |
所要時間 | 半日程度 | 2-3日 |
参列者数 | 10名以下 | 30-100名 |
宗教的要素 | なし | あり |
自然葬:環境への配慮と自然回帰
自然葬は、遺骨を自然に還すことを目的とした供養方法です。
海洋散骨や樹木葬など、いくつかの形式があります。
これを選ぶ人は「自然に還りたい」という故人の意思や、「墓の管理が大変」という現実的な理由を挙げることが多いですね。
特に一人っ子や子供がいない夫婦にとって、将来の墓の管理は深刻な問題です。
樹木葬なら永代供養の形式もあり、後世に負担をかけない選択として注目されています。
無宗教葬:個人らしさを重視した自由な形式
無宗教葬は、宗教的な儀式を排除し、故人や遺族の価値観に基づいて自由に内容を構成する葬儀です。
故人の好きだった音楽を流したり、思い出の品を飾ったりと、本当に自由度が高いんです。
私が参列した無宗教葬では、故人が音楽好きだったため、生前よく聴いていた曲を流しながら思い出を語り合う形式でした。
宗教的な制約がないため、参列者も気軽に故人を偲ぶことができる雰囲気がありましたね。
ただし、内容を全て自分たちで決める必要があるため、準備には時間と労力がかかります。
供養の形 | メリット | 注意点 |
---|---|---|
直葬 | 費用・時間の大幅削減 | お別れの時間が短い |
自然葬 | 墓の管理が不要 | お参りする場所がない |
無宗教葬 | 故人らしさを表現可能 | 準備に手間がかかる |
樹木葬 | 自然との一体感 | 場所が限定される |
本当に「葬式はくだらない」のか、参列した人だけが知っている素晴らしい点
「葬式はくだらない」という考えを持っていた人でも、実際に参列してみると意外な発見があることが多いんです。
私自身、そんな体験を何度もしてきました。
形式的で無意味に思えた儀式が、実は深い意味を持っていることに気づかされるんですね。
参列者だけが知ることができる、葬儀の隠れた価値について詳しく見ていきましょう。
- 故人の社会的な死を受け入れる重要な区切りの場
- 故人の知られざる一面を発見する機会
- 遺族への具体的なサポートを示す場
- 自身の人生や死について考えるきっかけ
- コミュニティの絆を再確認する機会
これらの価値は、実際にその場にいないと分からないものばかりです。
心の整理をつけるための重要な儀式
大切な人を亡くした時、頭では理解していても心がついていかないことがあります。
葬儀という場で、多くの人が故人を悼む姿を見ることで、初めて「本当に亡くなったんだ」という実感が湧いてくるんです。
私も親しい友人を亡くした時、葬儀に参列するまでは現実感がありませんでした。
でも、棺の中の穏やかな表情を見て、参列者が涙を流している姿を見て、ようやく現実と向き合うことができたんです。
これは「弔い不足」を防ぐという意味でも、とても重要なプロセスなんですね。
故人の新たな一面を知る貴重な機会
葬儀では、様々な立場の人々が故人との思い出を語ります。
家族が知らなかった職場でのエピソードや、学生時代の友人との思い出話など、故人の多面的な人柄に触れることができるんです。
私が参列したある葬儀では、物静かだと思っていた故人が、実は若い頃にバンド活動をしていたことを知りました。
そんな意外な一面を知ることで、故人への理解が深まり、より豊かな思い出として心に残るんですね。
また、故人を通じて知り合った人々との交流は、その人の人間関係の広さや温かさを物語っています。
遺族への寄り添いを具体的に示す場
遺族は故人を亡くした悲しみと、葬儀の準備や対応で心身ともに疲弊しています。
そんな時に参列者が訪れ、寄り添うことで「一人ではない」という安心感を与えることができるんです。
言葉を交わさなくても、その場にいること自体が強いメッセージになります。
私が見てきた中でも、参列者の存在に救われた遺族の方は本当に多いですね。
また、葬儀の場では具体的な支援の申し出をするきっかけも生まれます。
参列の意義 | 遺族への効果 | 参列者への効果 |
---|---|---|
心の整理 | 現実受容の促進 | 自身の死生観を見つめ直す |
思い出の共有 | 故人への理解が深まる | 人間関係の大切さを実感 |
寄り添い | 孤立感の軽減 | 共感力の向上 |
コミュニティ | 社会的な支援の実感 | つながりの再認識 |
自身の人生を見つめ直すきっかけ
他者の死に直面することは、自分の人生や死について深く考える貴重な機会になります。
命の有限性を実感し、日々の生活の尊さを改めて感じることができるんです。
私も葬儀に参列するたびに、
- 「自分はどのように生きていきたいか」
- 「どのような最期を迎えたいか」
について考えさせられます。
これは「終活」への意識を高めるきっかけにもなりますね。
自分の葬儀や供養のあり方、残された家族への思いなど、具体的にイメージすることができるようになります。
社会的なつながりの再確認
葬儀は、故人を媒介として疎遠になっていた人々が再会する場でもあります。
久しぶりに会う親戚や、学生時代の友人との再会は、人とのつながりの大切さを改めて実感させてくれるんです。
また、香典や弔問といった慣習を通じて、社会における互助の精神や感謝の気持ちの循環を体験することもできます。
これらは、個人主義が進む現代社会において、とても貴重な体験だと思います。
「葬式はくだらない」のまとめ
葬式はくだらないという考え方は、現代社会の価値観の変化を反映した自然な反応だと言えるでしょう。
宗教観の希薄化、経済的負担への懸念、個人主義の浸透など、様々な要因が複合的に作用しています。
一方で、実際に葬儀に参列した人だけが知る深い意義や価値も確実に存在するんです。
今回お伝えした内容を改めて整理すると、以下のようになります。
- 葬式をくだらないと感じる人は合理主義者や無宗教の人が多く、社会的変化が背景にある
- 新しい供養の形として直葬、自然葬、無宗教葬などが選ばれている
- 参列することで得られる心の整理や人とのつながりの再確認は貴重な体験
- どの選択も個人の価値観に基づくものであり、尊重されるべき
大切なのは、一つの価値観に固執するのではなく、多角的な視点で葬儀について考えることです。
「葬式はくだらない」という気持ちも、伝統的な葬儀の意義も、どちらも現代を生きる私たちの素直な感情や体験から生まれているものですからね。
あなた自身がどのような最期を迎えたいか、どのような形で送られたいかを考える際の参考にしていただければと思います。
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